私の本棚
   
 
       
7「.リーダーシップ」(ルドルフ・W・ジュリアーニ著、miramax books)
ジュリアーニ氏は、かつて犯罪都市と言われたニューヨーク市の治安を安全な街と言われるまでに回復させる過程で得た洞察を、「リーダーシップとは何か」、「どのようにして組織を動かすか」を主題にした書物に仕上げる作業途中、9月11日の「同時多発テロ」に遭遇された。

草稿に認められていた考え方、例えば「衆知を集めよ」、「信念を持て」、「手本を示せ」、「順序立てて処理せよ」等は、まさに究極の試練にさらされ実践される中で、筆者にとって確信になるまでに鍛えられたのである(3月末の同氏の講演を聞かれた方にはよくお解かりになると思う)。

それにしても、この人の「現場を自分の目で見て対応を判断する」という現場主義は徹底している。その日のうちに現場に6度赴き、2000度の高熱に耐え切れずタワーから飛び降りる多くの被災者を目撃するという悪夢のような体験をしながら、また、自らもタワー崩落に巻き込まれる危険に晒されながら、@市民とのコミュニケーションを絶やさず市民を安心させる、A被災者対策、B次はどこが攻撃されるか、を念頭に、できるだけ現場に近いところに指令本部を確保し、必要な指示を与えていったのである。このような現場主義がなければトップダウンの決定などありえないのだ。

就任当初「どのようにして組織を動かすか」に腐心した市長が、毎朝8時から「部長会議」を開くことにし、各部長をはじめとする幹部職員と問題意識を共有できるようになっていたことが第2章で述べられているが、このような組織作りも、未曾有の危機を乗り切るのに大いに貢献したことを付け加えておかねばなるまい。
 
 
6.内田百闖W成(ちくま文庫、全24巻)
         
一体に書物は貸し下されというのが相場である。しかし、内田百閧フ本ほどこの常識を覆さなかったものはなく、私の本棚に残っていたのは、文庫の「東京日記」、「阿呆の鳥飼」等4冊にすぎなかった。

旅に明け暮れた昔、何処へ行くにも必ず一冊は鞄の中にご同行いただいたのが百關謳カ。今やその殆どは悪友たちのところへ遊びに行ったままである。

それが、ちくま文庫から「内田百闖W成」として復刊されつつある。珠玉の名作「蜻蛉玉」も第2期(13巻〜24巻)発刊予定と聞く。古くから百關謳カの世界に遊んだ者には嬉しい限りである。

何気ない日常に潜む異次元世界、またその世界との往還。そこはかとないユーモア。是非「阿房列車」に乗り「東京日記」や「蜻蛉玉」をお読みいただきたい。旅先から多くのお土産をお持ち帰りいただけること必定である。

天才の名を縦にしたマクナマラ・米国防長官(当時)が、ベトナム戦争の最中にリュック一つ一人でキャンプに出かけたことがある。百關謳カの著作に親しんでいただくべく駄文を認めるうち、ふと頭をよぎったので付記しておく。
 
 
5.岩波講座「自治体の構想」(松下圭一、西尾勝、新藤宗幸編、全5巻)
         

所謂「三位一体の改革」をめぐって、また、「大阪新都vs大阪特別市」等、分権の受け皿に関する議論が熱を帯びている現在、編者の一人、西尾勝先生が言われるように、「いま新段階に立つ日本の自治体は、いかなる改革の展望を持つべきか。」「自治体がこの新課題に取り組むには、既成理論を再編するとともに、新しい政策・制度づくりに熟達することが必要となる。」

 この欄で取り上げるには大分すぎることもあり、躊躇していたが、大阪府が二重の意味で存亡の危機にあるとき、府庁に関わりのある人、また大阪の将来を考える人には、項目(アジェンダ)とその優先順位を整理する意味から是非ともご一読いただきたいと思い、取り上げることにした。

 全5巻の構成は、1.課題、2.制度、3.政策、4.機構、5.自治、となっており、殆どの「新課題」が網羅されている。

1「.課題」所収「分権化と国際化」(森田朗)、「分権化の必然性と『受け皿』」、また「補完性の原理」の章で、分権の受け皿という意味における、これからの自治体の課題を明確に提起してくれている。

.「制度」で取り上げられている「課税自主権と財源の分権化」(神野直彦)では、例えば、シャウプ勧告がシャウプ税制になる過程で都道府県税の基幹税である法人2税が独立税とならなかった経緯を説明する中で、地方から見たありうべき税制改革を、部分的であるにせよ、的確に指摘している。

また、3.「政策」所収「地域づくり政策の再編」(保母武彦)では、「大阪湾の重化学コンビナートに見られる素材生産型製造業の誘致は(中略)経済開発効果をもたらさなかった」と断じた上で、「内発的発展」というキーコンセプトを対置させ、新しい地域づくりを提唱している。

以上3論文が同講座中の白眉であろう。

 
4.「子規を語る」(河東碧梧桐著、岩波文庫)
子規という人が好きである。丸山j真男先生が「福沢惚れ」と言われる感情に近いと思う。明治以降最大の文学者は誰かと尋ねられたら躊躇なく正岡子規と答えるであろう。「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる」は私の文学(詩歌だけではない)開眼の(と思っている)記念すべき歌であったし 、子規の著作から、短歌、俳句の詠み方 、味わい方から野球の本質に至るまで教わった。勢いがあり、それがリズムを生み出し、また論理を形成する。子規の文章を読むといつも元気が出る。詩歌の流れが碧梧桐、高浜虚子、長塚節、斎藤茂吉らを経て現在なお脈打っているのは子規という言わば一つの爆発の大きさを物語る。高校野球の四国勢の活躍も子規と無縁ではないと思ってみたりもする。

没後百年、子規好きには堪えられない本が相次いで出版された。本書と、「子規、虚子、松山」(中村草田男著、みすず書房)である。子規 、秋山好古、真之兄弟らを取り巻く明治の青春群像は、司馬遼太郎「坂の上の雲」に詳しい。本書で語られるのは、幼少より子規 を升(のぼ)さんと呼び兄事し(自らを子規宗の一人と呼んでいる)、看取るまで親密な交流のあった碧梧桐が見た等身大、生身の子規である。 「病床六尺」等、子規の著作と併せ読むといよいよ子規が近くに感じられる。

一方、「子規、虚子、松山」では 、孫弟子、草田男が子規の時代性と限界、さらにはそれをどのようにして克服するか、冷静に語っている。「悟りとはどんな場合にも平然として死ぬることかと思うとったが違っとった。どんな場合にも平然として生きていくことが悟りじゃった」という子規の言葉が紹介されているが、元気を無くしている日本人にこの言葉を贈りたい。

            
 
3.「日本精神分析」(柄谷行人著、文藝春秋)
本稿を書いている最中(平成14年8月30日)、長野県知事選が全国的な関心を集めている。(この選挙に関しては、松室猛議員が問題点を的確に分析、解説されているのでそちらをご覧頂きたい。)

本書を取上げたのは、この知事選、或は選挙までの経緯を通して投げかれられた一般的な疑問、例えば「真の代表とは誰か?」、「党、党派性とは何か?」、「何故有権者が政治家は嘘つきだと考えるようになるのか?」等に対し、菊池寛の小説「入れ札」とそれが書かれた時代背景を分析することにより、また、古代アテネの民主制と現代のそれを比較することにより、明快な解答を与えているからである(第3章「入れ札と籤引き」)。

孫引きになるが、ケルゼンの「官僚支配にこそ民主制の最大の危険がある。そして一切の官僚制は必然的に専制支配に赴く」というような主張に対し、お役人はどのように反論されるのか聞いてみたいものである。但し、著者の「議会とは、実質的に、官僚が立案したことを、国民が自分で決めたかのように思い込ませるための手の込んだ手続きであると言えないでしょうか」という揶揄に対しては即否と言える。いわゆる 大阪府の銀行税条例を提案したのは自民党議員団であって知事部局ではないからである。

 
2.「うさぎのミミリー」(庄野潤三著、新潮社)
老作家夫婦の日常が、娘さん息子さんとの交流を中心に淡々と語られる。著者は、私の父とほぼ同世代の人なので、両者をつい較べてしまう。父は長い間の議員生活を終え、庄野さんと同じ様にゆったりとした生活を楽しめるはずであったが、母が倒れてほぼ寝たきりになってしまったため、介護に多くの時間を割かざるをえなくなってしまった。不平不満を貯めこんでいるはずなのに表には決して出さない。 一方、何事に対してもよく「有難う」と言うようになった。その「有難う」という言葉が、この作品中でしばしば述べられる「ありがとう」という言葉と私の心の中で響きあう。 著者のそれは悠々たる人生には違いないが、酒と釣りを楽しんだ井伏鱒二さんの晩年とも趣を異にする。小津安二郎監督の名作「東京物語」の世界に近いか。内容的には「インド綿の服」(講談社)の後日譚ともいえるので両方お読みいただくことをお奨めする。
 
1.「人間科学」(養老孟司著、筑摩書房)
政治のモトは人間だから、政治を志す者にとって人間理解(human science)は不可欠である。人間理解(human science)は政治学(political science)に先行すべきなのである。哲学に足を踏み入れた医学者として、著者は、本書で「人間とは何か」について、様々な角度から語っているが、豊かな経験に裏打ちされた深い洞察は、政治理解について(例えば、「共同体への加入資格」、「性差を論じる意味」)、或いは教育について、言語について、また宗教について(「シンボルと共通理解」の章)鋭い逆照射となって「情報化しすぎている」私たちの脳をいわばリセットしようとする。著者も述べている通り、「いまでも日本の公教育は宗教と哲学を教えない」。だから全体を見渡せる専門家が育たない。政治を志す人、また、専門家を以って任じている人に繰り返し読んでいただきたい一冊である。
これまで20回以上引越しをした。越すたびに、減りはしたものの、書物もついてきた。外国にいる間、彼らは倉庫で眠っていた。帰国すると、起き出して、またついてきた。 次に越すまでに、どこかに遊びに行ってたのが友達を連れて帰ってくる。また増える。
子供の頃から書物が好きだった。書物が好きだから読書好きになるの か、或いはその逆が真理なのかは判然としないが、長ずるに及んで書物は幾何級数的に増えた。それが引越し屋のお陰でとんでもない組み合わせになって並ぶと、旧友の知らなかった素顔を見たような気になり、また紐解くようになる。そういうわけで、新入り と随分と長い付き合いのものとが仲良さそうに並んでいる私の本棚。折にふれご紹介して行きたいと思います。